コラム

あなたが生きていてくれるだけで嬉しい

こんにちは、ゆきみんです!

この記事の内容は、はじめ動画にしてYouTubeで出そうと思っていたのですが…

撮影してみて、なんだかあまりうまく話せなかったので文章で書こうと思います。

あなたが生きていてくれるだけで嬉しい

タイトルにもある通り、

「あなたが生きていてくれるだけで嬉しい」

これってなかなかうまく口にできないですね。

 

私が真顔(もしくは満面の笑み?)で

「皆さんが生きていてくれるだけで嬉しいんです」

とか言ったら、ちょっと引いちゃう人もいるかもしれない。

変な宗教だと思われるかもしれないし…。

 

でもね、結構大真面目に思っています。

だって生きるのって大変じゃないですか??

 

私はもう何年もそう思って生きていて。

結構すぐに落ち込むタイプで、それでいて厭世観みたいなのもすごく強いので

「生きるのって大変過ぎる」

って毎日のように思ってます。

 

以前視聴者さんから

「人間って何のために生きるんだと思いますか?」

とご質問いただいて、

「たくさんの感情を味わうこと、それがこの世に生まれた人間に許された芸術だと思います」

と何やらいっちょ前なことを話したのですが…

もちろんここで話した内容は私の本心には違いないけれど、それでも

「もう感情なんて味わい尽くしたよ!!!もうええんや、楽にさせてくれ」

と思う日だってあります。(それもかなり)

いろいろ感じやすい性格というのも関係してるかもしれませんが…

 

人生って長いなあ。

 

うまく説明できないんですけど、感覚的に

「人生は長い!これからだ!」

というよりは

「人生なげえ…」

って感じなんですよね。笑

 

(こんなことって一般的に言っちゃいけない気がするから言うの避けてたんですけど、どうだろう、同じこと思ってる方はいるのだろうか)

 

遥か昔の縄文時代、人の平均寿命は30歳だったと言われています(諸説あり)。

それを考えるとなんだかもう

「やれやれ」

みたいな気もしなくもないというか。

 

人生って(少なくとも私には)ものすごく、ものすごーーく、長く感じられます。

「いやいや、まだ結婚したり子ども産んだり、経験してないこともいろいろあるでしょう」

と言われそうな気もするけど、そういうのを言われること含めて「やれやれ」って感じがする。

 

 

長い人生を生きるのって結構大変だと思うんですよ。

 

生きる、ってのは

「息して食べて寝る」

ってことです。

 

この最小限のことを繰り返すだけでも、なかなか大変だと思う。

だって、5年6年の話じゃないんですよ。

何十年も繰り返すんです。

 

他の動物が必死で「息して食べて寝る」をやっているように

私たち人間にしたって、これはなかなかに難しいことじゃないか?と思うんです。

 

人間であるゆえ、頭を使うもんだからいろいろ余計なことを考えるんだけど

(私が今書いてる内容だってそうだけど)

「もっと意味あることをしなきゃ」

とか、

「社会貢献しなきゃ」

とか。

そういう「息して食べて寝る」以上の「生きる」を求めがちです。

 

でもそれって頭で生き過ぎてる。

ひとつの生命体として、この体をなるべく生かし続けるのって割と難しいと思うし

頭でごちゃごちゃ考える人間だからこそ、それをより難しくさせてる可能性だってある。

 

「知能レベルが高いこと」は必ずしも「楽に生きること」には繋がらないはずで。

その「知能」だって、人間が作り出したとてもエゴな基準に過ぎないけれど…。

 

来世があれば、木ネズミあたりに生まれたいと思ってます

 

 

会社辞めるまで、親に養ってもらったり、会社にお給料もらって生きていたので

「息して食べて寝る」

ってのがこんなに大変だと、実感を持って分かってなかったと思います。

会社辞めて2年ほど経ちましたが、これが想像以上に難しい。

 

お金を稼ぐのが難しいとか、そういう話ではありません。

食べるためにお金を稼ぐのは、まあ考えればできることです。

方法はいろいろある。

 

何が難しいって、それはやっぱり

「自分を律すること」

だと思います。

 

だって、一体どれだけの人が私に

「息して食べて寝る」

ことを望んでくれてるんでしょうか…?

 

ここが、会社という組織に属して働くこととの大きな違いだと思います。

会社員だったときは、曲がりなりにも一定の「役割」を与えてもらっていました。

だから憂鬱で1週間でも2週間でも寝ていたいとしても、いい意味でそれができない。

(もちろん休む必要があるときは休まないといけないけど)

 

3日も引きこもれば上司や同僚の誰かが心配してくれるでしょう。

会社に行けば誰かが

「おはよう」

と声をかけてくれて、それだけでも

「ああ、自分って必要とされてるんだな」

と思えたりする。

「おはよう」とか「おつかれさま」の言葉の威力って、割とすごいんです。

 

でも会社に行かない、まして家で悶々とブログ書いたり動画撮ったりして、そこに嫌なコメントの1つでも書かれたら

「私、なんでこんなに頑張って息して食べて寝なきゃいけないんだろう」

と思う日だって、やっぱり、あります。

 

その意味で、

「自分を律すること」

つまり

自分で自分に

「あなたは今日も息して食べて寝ないといけませんよ!」

とカツを入れる…これがまあ想像以上に大変なんです。

 

私が「息して食べて寝る」ことを望んでくれてる人はきっとどこかにいるんですけどね。

 

…というか、他でもない「自分自身」がそう望んでる。

 

落ち込んでるときって、誰にも必要とされてない気がするから

「自分に一番生きていて欲しいのは、結局自分自身なんだ」

と認めるのが一番楽だし、他人に依存しない考え方だと思うのですがどうでしょう?

 



 

不思議ですよね。

 

私は毎晩寝る前に

「私の幸せや寿命はいくら削ってくれてもいいから、その分を他の人に分け与えてください」

と、何かに向かって?祈ってて

(宗教とかじゃなくて自己流です。もっと怖いか。笑)

 

他にも例えば、大切な人を頭に浮かべて

「マジで息して食べて寝てくれるだけで十分」

って思うんです。何かして欲しいとか、そんなことちっとも思わない。

 

大切な人っていうのは、家族や友人や恋人とかじゃないんですよ。

よく分かんない、説明できないんですけど…

 

例えばしばらくSNSに顔を出してなかった人が

「長らく更新してなかったけど元気に生きてまーす!」

とかって投稿してたりすると、

ああ良かった…!!!神さまありがとう、って。

引かれるかもしれないけど、本当にそんなことを思うんです。神さま信じてないけど

 

それなのに、自分に対してはそんなふうに思えないときがよくあって、それどころか

「今日何もしなかったね君は」

と、自分を責めてしまう。

 

「息して食べて寝る」以上のこと、

例えばそれは仕事とか勉強とか、そういうちょっと「生産的な活動っぽい」ことをしなかった日に。

誰に監視されてるわけでも期待されてるわけでもないのに、自分を縛って動けなくしてしまうんですよね。

 

でも私たち人間は、工場の機械に求められるような

「効率的で生産的な存在」

である必要はなくて、それこそ息して食べて寝るだけで十分なんじゃないかな。

 

 

最近皆さんお元気ですか?

気持ち的に大変揺れやすい春もそろそろ終わりますが、最近の落ち込みは春のせいにすればいいし、これからの落ち込みは「春の後遺症」にすればいいと思います。

 

「コロナ疲れに負けないように」なんて言うけれど、まあ負けたっていいと思うんですよね。

だって疲れてるもんね、みんなね。

「コロナに負けずに頑張ろうよ」

と声を掛け合うのもいいけれど、人によれば

「一緒に負けよ、ちょっと休憩しよ」

って言われる方が救われることもあるんじゃないかな。

 

と、ちょっとコロナに触れたところでアレなんですけど

疲れてるとか落ち込んでるとか、そういうときに

「どうしてだろう」

って原因を探る必要も、ないと思います。

季節のせいかもしれないし、コロナのせいかもしれないし、考えられる原因はいろいろあるけど

原因を見つけて潰すことが人生ではないし、真面目すぎるのも、これまた疲れますもんね。

ゆきみん
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気楽にいこ
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「ありのままの自分を仕事にしよう」。"スゴイ人"じゃなくても情報発信で生きるための方法をお伝えしています。YouTube登録者数2万人。