プロフィール

雑記ブログは稼げないなんて嘘!理由と収益化のコツを解説【攻略法】

YouTube登録者数3万人。「もしもアフィリエイト」ダイヤモンドランク、その他ASP2社で同等成果継続中。Voicyパーソナリティ。

大阪大学卒→2015年に入社した国内メーカーのマーケティング部にて4年勤務→退職。その後ポーランドに約3年間滞在し、現地の人々や文化と触れ合いながら自分の価値観やライフスタイルを見つめ直しました。

現在は発信活動やコンサル(個人相談サービス)を通し「自分らしく働く・関わる・生きる方法」をお伝えしています。

ゆきみんがネットで活動を始めた経緯

20代前半まで、「親のために」を軸に生きてきた

ゆきみん大学の卒業式。この頃は希望に溢れてました。

 

大学を卒業し、国内の大手メーカーに就職しました。

内定通知をもらった時は、嬉しくて泣きながら親に連絡しました。

家族はもちろん、親戚やご近所の皆さんまでが喜んでくれ(若者が少ない田舎なのでよけいに)

私自身「よくこの会社に入れたなあ」とすら思っていました。

ただ、当時の私は自分自身のためではなく

「親のため」

の進路を選んでいたんです。

 

私の家庭は決して裕福ではありません。

親に立派な学歴があるわけでもありません。

親は子どもに将来苦労をさせないため、ひたすら毎日朝から晩まで働いて、勉強する環境を与えてくれました。

そんな親の背中を見ていた私は、

「いい大学に入って」

「いい会社に入って」

「親を安心させる」

これが人生の使命だと確信していました。

幼い頃から何に関しても「ただ親のために」という価値観を軸に動いていた私。

その価値観の誤りに気付いたのは、入社式当日でした。

入社式当日「自分は会社に向いてない」と悟る

ゆきみん新入社員研修のとき。自分らしくない笑顔だなあと思います。

 

慣れないスーツに身を包んで迎えた入社式当日。

名刺交換の練習から電話応対の練習、愛社精神を叩き込まれながら、私が考えていたことはただ一つ。

「どうやったら1日も早く会社を辞められるだろうか」

ということでした。(早)

 

 

「自分は会社に向いてない」

というのを肌で感じたんだと思います。

内向的な性格、これといった特技もない、勉強しかしてこなかった…

まだ働いてもいないのに、自分に会社は向いてないと、直感で分かりました。

その日から4年間、自分自身との戦いが始まりました。

すぐに会社を辞めなかった理由

ゆきみん3年目の頃。人として尊敬できる先輩とも出会えました。

初日から辞めたいと思ったのにも関わらず、私は会社をすぐには辞めませんでした。

なぜか??

 

1つ目の理由は、

「理不尽さを学ぶため」

です。

皆さんご存知の通り、生きていると毎日理不尽なことの連続ですよね。

会社を辞めたところで、それが無くなることはありません。


さすがにそれは、新入社員当時の私も分かっていました。

もちろん会社を辞めて新たな場所で苦労を味わうのもひとつです。

でも、いわゆる「レールに乗って生きてきた」私に、新たな場所を探せる能力も自信も無く…

それなら、たった今目の前に用意されている理不尽さに徹底的に立ち向かってみようと思ったんです。

2つ目の理由は、

「会社の良いところを認めるため」

です。

昨今、若者を中心に「会社なんて」と言う人の数はどんどん増えてきていますよね。

ただ、私はこれは少し違うかな、と思うんです。

確かに会社で働きにくい、会社が合っていない人がいるのは事実。

ただその一方で、同年代の中にも、勤め先の会社に誇りを持ち、イキイキと働いている人もたくさんいます。

 

正直、新入社員研修中に隣で目をキラキラ輝かせる同期を見て、

「どうして?どうしてそんな夢と希望でいっぱいなの!?」

と思っていました。

私にはまったく理解できない、と。

でも、だからといって彼らをバカにしたり下に見たりするのって、絶対違いますよね。

 

こうした理由から、

「私が会社を辞められるのは、理不尽さと向き合い、かつ会社の良さを認めた時だ」

と考えました。

「とにかく今の場所から逃げずに、少し頑張ってみよう」

「会社が楽しいと思える日が来たら、それが本当の辞め時なんだ」

そう自分に言い聞かせました。

 

また、同じ会社で働く優秀な先輩や同期の存在も大きかったです。

「今辞めれば、この方達から学べることを全て捨てることになる」

と思ったことも大きな理由です。

トイレで泣いてばかりの会社員時代

ゆきみん大阪の田舎から出てきたので、東京に馴染むのにも時間がかかりました。

 

会社員時代は、正直本当に毎日辛かったです。

心から楽しいと思ったことは一度もありません。

理不尽さに出会うたびに、よくトイレで泣いていました。

会議で一言発言するにも前日から緊張、毎朝お腹が痛くなりました。

電話は取るだけで精一杯。

相手の名前すら聞き取れず、周囲に迷惑を掛けてばかり。

昼休みの雑談にさえ緊張し、ごはんの味が全くしませんでした。

しょっちゅうネットで、

「会社  辞めたい」

と検索しては、同じような悩みを持っている人を見つけて安心する日々。

もちろん経験豊富な先輩や同僚と仕事をすることで、瞬間瞬間の楽しさはあったし

自分が関わった仕事が世に出る時は嬉しかったです。

その都度、親に報告もしていました。

会社自体はいわゆるホワイト企業で、何も申し分ない環境だったと思います。

 

それでも私が辛かったのは、

「自分らしく働く、生きる」

ことができていなかったから。

上司の顔色を伺ってビクビク仕事をするのは、私らしい働き方ではない。

意味のない会議に時間を使うのは、私らしい生き方ではない。

 

辛いと思いながらも

「どう頑張れば自分らしく生きられる日が来るだろう」

と考える日々が続きました。

4年後、会社で楽しく働けるようになった

最終日、お世話になった方々へ手紙を渡しました。

私が会社を辞める決心ができたのは、何か大きなきっかけがあったわけではありません。

「理不尽さを学ぶ」

「会社の良さを認める」

ということをひたすら続けていくうちに、その日は自然にやってきました。

だから、辞める決心をした頃には会社を楽しめるようになっていたし

理不尽さにもある程度慣れてきて、自分なりの対処法も身に付けていました。

上司や同僚との関係も良く、活躍の場も広げてもらい、会社員としてこの上ない環境。

会社を辞めた時が、私の中で絶好調に会社が楽しかった時なんです。

 

それなら会社で働き続けてもよかったのでは?

というご意見もいただきそうですが、私が一番大事にしたい、

「自分らしく働く」

ということが、会社では結局実現できなかったんです。

会社は個人ではなく組織で働く場所。

協力して一つのものを作り上げることに長けている人が輝ける場所なんです。

良くも悪くも私はこうした働き方に向いておらず…

会社は自分らしく働ける場所ではないと分かりました。

だから、会社での経験を活かして、自分らしく働ける場所を自分で作ろうと思いました。

ハッキリ言えるのは、「会社は悪くない」ということ。

会社でだって、自分らしく働ける人はたくさんいます。

 

ただ、向き不向きの問題なんです。

これが分かっただけでも、4年間勤め続けた意味があったと確信しています。

発信を始めた理由

需要がなければお金は稼げない

4年間毎日辛い、嫌だ、と悩みながら考えていたのは、

「きっと同じように悩んでいる人がたくさんいる」

ということでした。

会社という場所が合っていないだけなのに

「自分がダメだから上手く働けないんだ」

と思っている方がたくさんいるのではないか?

当時の私と同じように悩んでいる方に、ちょっとでも良い方向に向くきっかけになる考え方を発信したい。

そして、自分らしく働き、生きられる人を一人でも増やしたい。

ブログやYouTubeを始めた理由はここにあります。

 

私には、心の中でずっと語りかけている方がいます。

私の入社年と同じ2015年、とある会社に入社した同年代の女性が、会社での理不尽さに耐え切れず自ら命を絶ちました。

仕事の関係上その会社に出入りすることもあったので当時は大変衝撃を受け、悲しみや怒りと共に

「このようなことが起きてはならない、私も何か動かなければ」

と思いました。

 

ところが世間はそう簡単に変わりません。

会社も社会も「働き方改革」という形だけの「プロモーション」をして自己満足しています。

結局、会社や社会が変わるのを待つのではなく、自分自身が変わるしか方法はないんです。

会社や社会が「働き方改革」してくれるのを待つのではなく、自分で改革を起こさなければいけない。

そう考えるようになりました。

単身ポーランドへ

海外でおにぎり

自分らしく働く、を探しに

会社を辞めた私は、今までやりたかった

「自分らしく働く」

を徹底的に追求することにしました。

自分らしく働くためには、まず環境が大切。

ということで退職後すぐ、以前から興味があったポーランドに向かいました。

「どうしてポーランド?」

とよくご質問いただくのですが、理由は自分でもよく分からないんです。

なぜか心惹かれるものがあり、呼ばれるようにポーランドに。

1ヶ月間の1人旅をしました。

そしてその1人旅の最終日、ビザの申請書の準備をして、再びポーランドに来るための航空券を取ったんです。

ここは今考えても不思議なのですが…あまり考えずに行動しました。

「ポーランドのここが好き」

というところは特にありません。笑

ムスッとした表情で歩いている方が多く、買い物やカフェに出かけてもサバサバした雰囲気。

でも、どこかホッとさせてくれる国です。

ポーランドでやっていたこと

ポーランドは親日か?仲良くなった日本大好きっ子たち。

そこから約2年半、ポーランドの郊外で暮らしていました。

現地就職はせず、収入源はブログやYouTube、個人相談です。

「日本でのポーランド人気を高めたい」

「日本とポーランドを繋げたい」

みたいなこともあまり思ってませんでした。笑

私がやりたかったのは、発信を通じて

「いわゆるレールを外れたって、特別なことをしなくたって、人はどこでだって自分らしく生きていけると証明したい」

ということだったからです。

ゆきみんのプロフィール航空系YouTuberおのださんがポーランドに!

私は本当に凡人です。

特にこれといった能力もありません。

会社でも劣等生で、いつも同期に引け目を感じていました。

だからこそ、私をひとつの実験台として見ていただけたらな、と思っています。

ゆきみんのプロフィールワルシャワ映画祭にて、佐藤二朗さんと

ポーランドに来てから、自分でも全く予想していなかったことが次々と起こりました。

奇跡のような出会いに感謝したと思えば、会社員時代には経験しなかったような壁にぶつかったり…。

それこそコロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻など、想像を絶するような出来事も。

人間、どこで何をしようと、悩みの絶対量は変わらないなと改めて感じました。

 

約3年間の滞在を経て、帰国。

やはり元いた場所に戻ると、今まで見えていなかったものがたくさん見えますね。

「人生計画」

のようなものはないのですが…

自分の直感を大切に、悩みつつも、その悩みを楽しみながら生きていきたいです。

現在の活動

現在は2020年12月より開始した

「個人相談サービス」

の仕事に力を入れています。

当ブログの読者さんやYouTubeの視聴者さんとお話をさせていただくサービスです。

個人相談サービスのご案内【メンターが欲しい方へ】
【メンターが欲しい方へ】個人相談サービスのご案内メンターが欲しいけど、ちょうどいいメンターが見つけられなくて困っている方におすすめのサービスです。人生やキャリア、人間関係の悩み、何でもご相談ください。...

 

働き方や生き方についての悩み、ブログ運営方法など…

相談者さまそれぞれの悩みを一緒に考え、具体的なアドバイスをさせていただいています。

会社員時代になかなか相談できる人に出会えず、とても辛かったことがこのサービスを始めるきっかけになりました。

「ゆきみんになら話せるかも」

と思ってくださる方がいらっしゃったら、とっても嬉しいです!

 

また、

自分を仕事にする

という生き方をより多くの方に知っていただきたく、Voicyでのラジオ配信も始めました。

 

↓再生回数が10,000回を超えた配信

心から「好き!」「やりたい!」と思うことで生きられる方が、一人でも増えますように。

これからも地道に、コツコツ頑張ります!

YouTube・Twitter・noteなど

ゆきみん
ゆきみん
フォローお待ちしています!
初めて「ゆきみん通信」を読みに来てくれた人のための10記事
はじめて「ゆきみん通信」を読みに来てくれた方のための10記事ゆきみんに興味を持ってくださった方、ありがとうございます!この記事では、私のこれまでの経緯、活動の目的について知っていただくための10記事を紹介しています。...