この記事では
- 肩書きが欲しい
- 肩書きさえあれば…
とお考えの方に、
肩書きは必要ない
いや、むしろ
肩書きはない方がいいかもよ!
というお話をしたいと思います。
【肩書きが欲しい?】何者かに「ならない」という選択肢
発信活動をする上で、多くの方が一度はぶつかるのが
自分には肩書きがない
という悩みだと思います。
「大した経歴もないのにブログなんて書いていいんだろうか」
「一般人の私に話せることなんてないよ…」
こんな感じですね。
また、ある程度発信を続けても
「登録者2000人でYouTuberって名乗るわけにはいかないよなあ…」
とか、
「もっとスゴい人がいるから、自分はブロガーなんて言えないな」
とか。
「肩書きがあればもっと堂々とできるのに!」
と感じることもあるでしょう。
特に発信をしていなくても、周囲や目立っている同世代と比べて
「私は何者にもなれていない」
と急に焦ってしまう…
そんなこともありますよね。
ただ、結論から言うと、別に人生に肩書きなんて必要ありません。
肩書きを持つリスクを考える
肩書きなんてなくても、まったく問題ありません。
というか、個人的には
肩書きはない方がいい
とすら思っています。
なぜか??
一番大きな理由は、肩書きを決めてしまうと
自分を肩書きで縛ってしまう可能性
が出てくるからです。
私は新卒で入った会社を4年で辞めたのですが、退職時には様々な不安がありました。
多くの不安の中で最も大きかったのは、
「ただの自分」
になることです。
「○○会社の社員」
という肩書きを捨てるのが怖くて仕方なかったんです。
というのも、会社員時代
「○○会社の社員だからこそ、平等な立場で話してもらえている」
「○○会社の社員だからこそ、ひどい失敗も許してもらえている」
そう感じることが本当に多かったから。
肩書きに頼り切っていることは、自分でよく分かっていました。
だからこそ、この肩書きがなくなれば…
社会から追放されるような気さえしていたんです。(大げさ)
でも実際、会社を辞めても自分は自分。
当然ですが、本質的には何も変わりません。
本質的には変わらないので、
できること・できないことも変わらない
というのも強く実感しています。
肩書きを捨てて、環境が変わったところで…
自分の能力が大きく上がったり下がったりすることはありません。
できなかったことは相変わらずできないまま。
内向的な性格も変わっていません。
ただ私の場合、会社で必要とされる能力をまったく持ち合わせておらず
肩書きのせいで、自分の「できないこと」はとんでもなく目立つ一方、
「できること」を表に出すのが難しかったんです。
つまり、
「肩書きに守られている」
「肩書きを捨てたら大変なことになる」
と怖がっていたのに…
実は肩書きで自分自身を縛っていたんですよね。
今は自分の「できないこと」を徹底的に排除して
なるべく「できること」に時間やエネルギーを使うようにしています。
なので、肩書きがあった頃よりも人生は遥かに生きやすくなりました。
「肩書きがなくなれば社会から追放される」
というのも、とんでもない勘違いでした。
もちろん私を「肩書き」だけで見ていた人は離れてしまったけれど…
「本質」のところで繋がっていた人との関係性は今もまったく変わりません。
会社を辞める前と後で周囲の態度が変わったとしたら、その人間関係はそこまで。
むしろ肩書きがなくなれば、自分にとって本当に大切な人の存在を知ることができます。
肩書きを捨てるメリットはたくさんあります。
会社の縛り・ルールからも解放され、自分の裁量で働くこともできるし
人から過剰な期待をされることもありません。
なのに!!!
なのに、いざ肩書きを捨てるとなると多くの人は怖気付いてしまいます。
捨てるメリットを、頭の中でどれだけ理解していても…
一歩踏み出すのが怖くて仕方ないんですよね。
これ、当然のことだと思います。
その肩書きを得るまでには、きっと膨大な努力を積み重ねたはずだから。
だからこそ、捨てるのには本当に大きな勇気が必要です。
もちろん肩書きを捨てたところで、それまでの努力が無駄になることなんてありません。
自分の能力が落ちることだってありません。
そんなことは分かっていても…
すっごく怖いんですよね。
様々な葛藤と戦わなければいけないし、人間関係含め、環境も大きく変わります。
そして一番怖いのが、そうやって肩書きを捨てようと悩みまくるうちに…
自信も勇気もなくなってしまい、変化の機会を失ってしまうことさえあるということ。
つまり、
「肩書きを捨てる」
というのは、時間もエネルギーもかかるし、体力的にも精神的にも本当に消耗する作業なんです。
捨てる大変さは、得るまでの大変さと同等ではないでしょうか?
だったら…
そんな肩書きなんて最初からない方がよほど良い
と私は思うんです。
会社員だった頃は、いわゆる
「下駄を履かせてもらっていた」
状態でしたが…
そんな下駄、最初から持ってないんです。
それなら潔く堂々と
「何も持ってない」
と宣言しておく方が楽だと、今はすごく思います。
仕事も私生活も、その方が充実するし、何より気持ちがラクです。
私は会社を辞めた後も、しばらくは
「肩書きを作らないといけない」
「何者かにならないといけない」
とすごく焦っていました。
自分の中では精一杯頑張ってるつもりなんだけど…
何か特別スゴイことができているわけでもないし
YouTuberやブロガーと名乗れるレベルでもない。
このままだと、ただの
「会社を辞めただけの人」
になってしまう、と。
会社でどんどん昇格し、新しい「肩書き」を身に付けていく同僚から話を聞くたび
何者にもなれていない自分と比べて、ひどく落ち込んでいました。
でも、たくさん悩んでいるうちに
「何者かになってる人なんて、そんなにいないかも?」
と思うようになったんです。
当たり前ですが、世の中
「何者かになっている人だけが輝いている」
わけではないですよね!笑
肩書きがある人だけを好きになったり、興味を持ったりしますか?
自分のことになると焦ってしまっていたけど、別に
「肩書きがあるかどうか」
で人を見たりなんてしないな、と。
肩書きがない人にだってもちろん魅力があるし、そんな人だからこそできること・伝えられることもたくさんあります。
逆に、自分を肩書きだけで見る人に寄ってきてほしいかというと…
そうでもないですよね!
そして「何者かになった」状態が、幸せだとも限りません。
何者かになってしまえば、その状態をキープする大変さはもちろん
次に新しいことを始めたくなった時、肩書きを捨てる大変さもセットでやってくるからです。
肩書きを持っている人は確かに一見キラキラしてるし
「肩書きさえ持ってしまえば、人生は楽になるんじゃないか?」
と思いがち。
でも実際のところ、何者かになったらなったで、苦労もたくさんあります。
文章1つで「ライター」を名乗ってもOK
これ、意外に盲点?なんですが…
肩書きがなくて不安なら、自分で勝手に名乗ってOKです。
別に「名乗ってはいけない」決まりなんてないので!笑
動画1本UPした時点で
「私はYouTuberです」
と自己紹介したって、何の問題もありません。
文章を書き始めたその日から「ライター」と名乗ったっていいわけです。
他にも、
- 〇〇プロデューサー
- 〇〇研究家
- 〇〇活動家
といった「肩書き」を自分自身に付けることはいくらだってできます。
ただ、こうした肩書きを持てば、捨てるときのリスクが常に付きまとう…
ということは知っておくと◎
上でお話ししたように、肩書きを捨てるには時間もエネルギーも使うし、次のステップの邪魔になることも多いからです。
もちろん人によっては、
「肩書きがあればもっと堂々とできる!」
「自信が持てる!」
そんなこともあるでしょう。
ご自身の一番やりやすい方法を考えてみてくださいね。
ただ、一つ大事なことは
「別に肩書きがなくても、人は自分がやっていることに堂々と自信を持っていい」
ということです。
「伝えること」に肩書きは必要ありません。
伝えたい!届けたい!というまっすぐな思いさえあれば…
肩書きなんてあってもなくてもどっちでもいいです。
ご自身のやり方でマイペースに、そして自信を持って発信してみてください。
肩書きや数字で人を判断しない人と繋がることができるので!
このブログでは他にも私自身が会社で悩んだ経験、辞めるときにあーだこーだ考えたことについて記事を書いているので、ぜひご参考ください。
私でよければお悩みのご相談も受け付けているので、ご利用いただければと思います。