考えかた

Uber Eats(ウーバーイーツ)の罪悪感

23区では浸透しつつあるUber Eats(ウーバーイーツ)
とても便利なサービスだけど、なんとなく罪悪感を抱いてしまうという方もいるのでは?
この罪悪感がどこからやってくるのか、私なりに考えたことを書きます。

注文確定の瞬間、もうひとりの自分から…

昨日、私は体調があまり良くなく、朝から何も食べていませんでした。
さすがに何か口に入れなければと台所を見渡すも、運悪く食材のストックがありません。
近所にコンビニはあるけど、体調の悪いときにコンビニ食は避けたい。

そこで思い出したのが、以前お試しで使ったUberEats。
たまたま配送料無料キャンペーンをしていたこともあり、元気が出そうなメキシカン料理を注文することにしました。
ただ、注文確定ボタンをタップするとき、もうひとりの自分からの声が…

ゆきみん
ゆきみん
ほんまに頼むの??自分でなんとかならへんの?

えっ…、そんなこと言っても家にはなんにも無いし…。

ゆきみん
ゆきみん
スーパーまで歩いて10分やん。わざわざ来てもらうの?それに、ごはんぐらい明日まで我慢したっていいやん。体調悪いのに食い意地はあるねんなあ。

で、でも、もう暗くなったし、今頃おなか空いてきたし…。食べないと眠られへんもん…。

はい。なんとも情けないですが、この自問自答こそが罪悪感なんですよね。



他の配送サービスならどう?

では他の配送サービスを利用するときのことを思い出してみましょう。
毎回罪悪感を抱いているかというと、そうではないはずです。

例えば自分ではなかなか行くことのない地域の名産を入手したい場合や、欲しい服を販売しているアパレルが実店舗を持っていない場合等。どうしても配送が必要なとき、罪悪感はないのでは?

つまり逆に考えると、罪悪感を抱くとき=どうしても配送が必要というわけではないときなんですよね。

アマゾンでトイレットペーパーを買うにしても一緒です。歩いて買いに行けないわけではない。けど、重いし時間取られるし、と頼んでしまうわけです。

ちなみに私は注文する回数すら減らしたくて、この3倍長持ちのやつ使ってます。

配送サービスというのはどうしても、お金を動かすと分かりやすく人が動くシステムですから、「私の怠惰で人を動かした」となる。

そんなわけで、最近は宅配員の方への配慮の声も挙がっているわけですね。
配達のお兄さんがかわいそうだから、皆できるだけ自分で買いに行こうよ、と。

動いているのは、宅配のお兄さんだけじゃない

でもこれ、もう少し考えたい。
「歩いて買いに行こうよ」は確かに間違ってはいないんだけども、根本的な解決法ではないですよね。
自分でお店に買いに行ったとしても、そこには店員さんがいるわけで。
店員さんは仕出しをして棚に並べて、足りなくなったら追加発注して、レジに立ってくれて、袋に詰めてくれて、ときには返品対応とか苦情聞いたり、それはそれで大変なんですよ。

つまり、どんな手法を使ったって、私たちが何かを手に入れるときには、自給自足でもない限り必ず誰かが動いている。数的な話もあるだろうけど、「宅配のお兄さん」的に、自分たちに一番近い存在だけを数えてしまっている可能性だってある。

だから、配送サービスを使おうが使うまいが、人が動いていることには変わりないんですよね。



罪悪感を抱くのは、言い訳をしているのと変わらない

じゃあどうして罪悪感を抱くのか?
それは結局、自分が「行かなかった」ことへの言い訳だと思うんです。
罪悪感を抱く時点で、やっぱり少し頑張れば行くことのできた状況なんですよ。(昨日の私もね。)

それを「人を動かしてしまった」だの「ご丁寧な梱包で資源を無駄にしてしまった」だの、一見正当な意見でかき消すのは筋違いというか…罪悪感で自分を擁護してしまっている。
自分が勝手に抱く罪悪感と、「人が動くこと」や「梱包問題」って、大前提として別物ではないでしょうか。

ところで心理学における罪悪感とはつくづく便利な言葉だなと思う。
罪悪「感」だから、きっと罪ではないのだろうな。
なんとなく後ろめたい気持ち。その原因は自分にあるのに、それを顧みずに「〇〇に対する罪悪感」として何かのせいにして片付けてしまう

ウーバーイーツについては、「持ってきてもらって悪いなあ。罪悪感でいっぱいだ」ではなく、「体調の悪い私のために持ってきてくれてありがとう!」の方が健全な気がする。せっかく美味しいものを届けてもらうのだから、お互いにハッピーでありたい。

体調悪いときに食べるものじゃないよね。ごちそうさまでした!

他にもいろいろ罪悪感

一時期「海外旅行の罪悪感」がなかなか拭えなくて大変だった。
社会人になってグンと海外に行く機会が増え、「海外旅行=贅沢で楽しくって幸せ」というガチガチの価値観しかなかった私は、とにかく自分の家族に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだ。自分だけいい思いをしている、と。
だから旅行に行く度に、自分でも引くぐらい、信じられない量のお土産を買い込んだ。帰国後空港から大きなダンボールを実家に送るのが常だった。



でも帰省したとき、送ったお土産のお菓子が賞味期限を切れてもなお、食べられも捨てられもせずに溜まっているのを見て、「え、なんか違う」と思った。自分の自己満足だったと。

この場合の罪悪感は「海外旅行=贅沢で楽しくって幸せ」「これ以上に楽しいことはない」と思っていた自分の浅はかさに気付いていなかったこと。そして、他人の幸せを認められていなかったことが原因だ。家族は家族で、日本の夏をきっと穏やかに楽しんだのだろうから。

単純に「お土産をプレゼントしたい」だったら問題ないのだろうけど、罪悪感で送るお土産は間違ったお土産だ。自分の足りなさをお土産で解決しようとしていた。

ドバイモールにて。端から順番に買って帰ろうかと思った。

他にも、定時で帰るときとかね。
定時で席を立つときに罪悪感を抱くとしたら、それは今日会社で何もやりがいを感じられなかったということかもしれないし、帰宅後もただダラダラ過ごしてしまう予感がしているからかもしれない。(ダラダラ過ごしたって良いと思うけど)
でもそこで「○○さんに対しての罪悪感」を抱くとしたら、ちょっとずるいよな。原因は自分にあるのだから。

生きているとありとあらゆる感情を抱くけれど、「罪悪感」というのは形骸的で、自分のだめなところに対する二次的な感情、言い訳な気がするから、なるべく無くしていきたいものです。

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