日記

ほんとうのところ

 

今日はなんというか、何かがしっくりこない人がいつもより多いかもしれないけど、今日この世を去った良い人、悪い人、ふつうの人。それぞれの人数は、きっと昨日とそんなに変わりません。

 

私は家とカフェとスーパーのトライアングルを出ない生活をしているのだけれど、この3つの中でもカフェに行くことはすごく大事だと思っていて、それはとっても効率の悪いことをしているから。

家の冷蔵庫にはアイスコーヒーを常備してあるし、食べるものもあり、トイレもあるし、寝床もある。(ちょっと繋がりにくいけど)ネットもあります。

なので、私が時間やエネルギーやお金を無駄にしないためには、家から一歩も出ずにこのまま死ぬまでやり過ごすのがおそらく一番効率がいい。スーパーも、今はネット宅配だってしてくれるそうです。

 

それでも私はわざわざカフェに行くことにしていて、それも、ちょっと家から離れたところにあるカフェに。最寄り駅まで自転車をこぎ、そこから少し電車に乗って、別にすごくおいしいわけでもない、店内が特別おしゃれなわけでもない、とてもふつうのカフェに行きます。

そこ以外にカフェがないとかじゃなくて、むしろ今頭に浮かぶだけでも駅までにカフェや喫茶店は4軒ほどあるんだけど、でも私はそのちょっと遠いカフェに通ってます。

 

電車に乗ると、さっき自転車でこいできた道が見えてきて

で、電車は家の方向へ進んでゆく。

そう、ややこしくて申し訳ないんですが、カフェへは家から直接行った方が早く着くし効率的なんです。

なのに私がわざわざ遠回りして電車に乗ったりするもんで、こういう不思議なことが起きます。

 

最近は暑くなってきたのでアイスコーヒー。

お腹が空いてきたら、途中でサンドイッチを注文することもあります。

サンドイッチは工場から運ばれてくる既製品ではなく、注文しに行くとカウンターでお店の人が作ってくれるやつ。私は目の前で私のために(こんな言い方すると少しえらそうな感じだけど、でも間違いなく私のために)サンドイッチが作られていく様子を見るのがとても好き。手慣れた人と最近入った新しい人が作るのでは、かかる時間が控えめに言って3倍は違って、でも私はその新しい人が作ってくれるサンドイッチの方が好きで、いつもありがとうございますを2回言う。「たまごサンドお待たせしました」と、そのすぐ後の「ごゆっくりお召し上がりください」の時の2回。手慣れた人は「たまごサンドお待たせしました」を言わないから、それで1回。

サンドイッチは、手慣れた人のやつと彼女の間で、何にも変わらない。マニュアル通り、毎回レタスの大きさや枚数までおんなじです。でも私は彼女が作るサンドイッチの方がうんと好きだから、彼女がカウンターにいるタイミングを見計らって注文してる。

 

効率の悪いことをするというのは、これが案外、一生懸命にならないといけないんですな。

目的地に一番早く着くにはどうすればいいか。たまごサンドは誰に頼めば一番早く食べられるか。少し調べるか考えるかすれば、誰でも分かることです。とてもカンタンに。

私たちは「効率的」だったり「生産的」という言葉に強い魅力を覚えがちで、そういうものを身に付けたいと願って分厚い本を買って読んだり(買うだけのこともある)、エラい人の話を聞きに行ったりするけど、でも案外カンタンなのは「効率的」であり「生産的」な方であって、エラい人には馬鹿にされそうな「非効率」で「非生産的」な方が実はずっとずっと難しいと、私は思う。

なんで難しくなっちゃったのかというと(昔はこんなに難しくなかったはず)

理由は単純で、みんなが自分たちの信じる理想に向かって、一生懸命頑張ってきたし頑張ってるし、そしてこれからも頑張ろうとしているからです。だから私たちは誰のことも責めてはいけないし、後悔だってするべきではないんだけど、でもおそらく私たちは結構疲れている。思っている以上に。

 

だって人間なんて元来、情けないほどに非効率的な生きものだからです。

ただ生まれてから死ぬだけでは飽きたらず、色々のことに感情を抱き、泣いたり笑ったりひたすら騒がしく、他の人間とも関わろうとし、でもそれは効率のためにお互い協力するといった類のものではないことがほとんどで、大体は他人と一緒に既に混沌としてる世の中を今よりさらにぐちゃぐちゃにすることに熱を上げ、挙句それを人間らしいとか人間臭いとか言って喜んでるありさま。

もうこれは私たちがどれだけ機能的にシステム的に効率の良い社会を作り上げたとしてもどうにもならないことのようで、だから効率的な社会になればなるほど、私たちの「ほんとうのところ」とはどんどん齟齬が出てきて、そんなんだから疲れるのは当たり前だよね。

 

ところで、私たちが生まれた時から持っているものであり、権利、というのはなんだか変だけど、自然的に元から備え付けられている機能というか私たちを生きものたらしめているものの中に「死」があります。生きものというのは、死ぬからこそ「生きもの」って呼ばれるんだよ。

で、死ぬ方が効率良いことって結構あるんです。個人で言えば、悲しくて辛くて惨めで情けない、そうした感情を抱くことがなくなり楽になれます。全体的なことで言えば、最近はほら、みんな食糧危機だとかで騒いでるけど、もうそんなのは人口の減少が一番効率的な解決策だって話もありますし。

なのに、上に書いたように人間は元来バカみたいに非効率的な生きものだから、そんなんだから、死を恐れるんじゃないですか。

 

私たちは死を極端に恐れたり遠慮したりします。なぜかというと、これは明らかに、私たちが元来どんくさくて情けない、とっても非効率的な生きものだからです。

私たちはめんどくさいので、死ぬことを何か特別なもののように仕立てたり、芸術的に表現してみたり、ドラマ性を持たせたりしがちです。でも、どう装飾しようが違う角度から見ようが、死は死です。いなくなること。1が0に、いや、0ですらなくなること。

 

私自身「死」という言葉を使わなくったって、それと同等の、もしくはそれを思わせるような表現ができると、自分なりに何年も考えてきました。でも、どうやったって死、これでしか表せないことがある、死という言葉を使わなければうまく説明できないことがあると、最近になって私は私の中でそういうことにした。終わりとか、最後とか、そういうんじゃなくて、死という言葉だけが説明しうることがあるんです。

生きる、死ぬ、生きる、死ぬ、生きる、死ぬ。これは対比関係にあるのではなく、連続していて、死ぬというのは私たちが生きものである限り、とても当たり前なことです。どれだけ頑張って効率的に生産的に生き、何かすごいものや便利なものを後世に残しても、みんな死ぬ。私たちは絶対的にいつか死ぬ。

効率のいい、生産性の高いことに何よりも重きを置いて、一生懸命頑張って、その先で突然ポンと現れた「死」に対面する。これが現代の死です。そこで私たちは初めて自分が「死に必要以上に意味を持たせる非効率的な生きもの」だという事実に唖然とし、今まで信じてきたものとの違いに恐れ慄き、うまい具合に、それこそ効率的に死を避けたり対処するなんてことは到底できず、さらにそんな状態に陥ってもなお「死について口にするなんて不謹慎だ」なんてめんどくさいことを言って、誰かに話すことさえできない。あんなに人にうざ絡みしてたくせに。そんなん、おかしいと思いませんか。私はすっごいおかしいと思う。

 

でも悲しいことに、どう考えたってこれを超える悲しさなんてこの世に存在しないんじゃないかってくらい悲しいことに、私たちは本当に、呆れるほどめんどくさい生きものです。これが動かしようのない事実ってことが、悲しさにさらに輪をかけてて引くけど(自分も含まれてるのにね)、でもマジでめんどくさい。

だって、この期に及んでもどうせ「死にたいとか、なんかそんなん、よくないやん」とかつまらないことを平気で思ったりなんかして、生まれると同時に受け入れるしかなかったはずの「死」について考えることをダメみたいに言って、正義ぶって、それで他人を責めたりなんかするんでしょ。

そら死にたいって1回も思ったことないくらい毎日ハッピー100%で生きてるならそのまま楽しく死んでったらいいけど、そんな人結構珍しい気がするし、死にたいという感情はすごく当たり前で自然なので、たとえ自分が死にたいとある日突然思い立ってもびっくりするのは大袈裟だし、毎日死にたいと思ってるにしろ、それを悲観したり恥ずかしがらなくていいよ。

 

誰かに「今日はな、死にたいねん」って言うのに引け目を感じるなら、少々突拍子もない提案ではありますが、納豆の新商品出てたとか、今日の星座占い1位やったとか、そういうことを、そういう取るに足らないことを、何にも考えずにポンと言ってみるのはどうでしょうか。

あらかじめ言っておくけど、納豆の新商品なんて、効率性が第一の人にはどうでもいいに決まってるよ。安い日に普通のやつまとめ買いしてるだろうし。というかそれ以前に、納豆なんて毎回かき混ぜなあかんしベタベタになるし、プロテインバーでええやんって考えてるかも。星座占いに至っては非効率どころか超非科学的でアホみたい、自分の運命は自分で動かす!とかって啓発本読みながら答えるんかも。

 

でもね、人間の「ほんとうのところ」はすごく非効率で非生産的だということ。そして私たちはめんどくさくてややこしい生きものだということ。これだけは、絶対に忘れてはいけないと思う。自覚の話。効率的に生きるなんてのは、あれはもう趣味の領域よ。

新商品の納豆って言ってもさ、別に納豆は納豆に違いないでしょうよ。ただの大豆だし、せいぜい付属のタレの味が違うくらいでしょ。もう分かり切ってる。

なのに「この納豆うんま!!!生きてて良かったーーー!!!」とかって私たちはしゃぐんです。写真撮ってツイートするんです。

 

さっきまで楽に死ぬ方法ググってたのに。

 

これまでの日記

ABOUT ME
ゆきみん
「自分を仕事にするヒント」。自分をマーケティングする方法をお伝えしています。YouTube登録者数2万4000人。「もしもアフィリエイト」ダイヤモンドランク、その他ASP2社で同等成果継続中。書くことが好きです。