日記

失われた音

 

最近、AirPods(ちょっとお高いイヤホン)を洗濯した。

洗濯した、とか言うと日々の家事の一環みたいな雰囲気だけど、そうじゃありません。AirPodsは洗濯したら壊れるものです。それもね、買って3日だったの。新しかったの。とにかく乾燥させたら直ることもあるらしいっていうんで、わずかな可能性をちょっぴり信じて1週間ほどお米の中で寝かせてみたけど、全然。あ、お米はこの場合、乾燥剤の役目を果たすらしいです。

この子がやってきてからの3日間で、私たち一体いくらほどの音を聴いたやろうか、私は好きな曲を見つけるともうそればっかり、本当に飽きもせずに朝から晩まで信じられない量のその曲だけを聴くから、もうこの子はその曲と私の3日間のためだけに生まれて死んでいったのかと思うと。

3日間だけピカピカだったAirPods。えっへん!みたいな感じで私の手元にやってきた最新のAirPods。洗濯機にぶち込まれ、荒波に揉まれ、細かな傷を多数負った。こんなこと、こんな酷い目に遭うなんて、思ってもみんかったやろうなあ。これから一緒にいろんな場所に行って、思い出作るはずやったのに、ごめんな。ほんまにごめん。悲しいとか情けないといったそんなつまらない気持ちはとっくに通り越して、まさに自分の尊厳に関わるような、そんな思いでお腹がぐるぐるします。

尊厳、というのは何かドカンと絶望的なことに襲われるとか、そういうことがなくても、案外日常生活の「絶望とはいかないまでもちょい死ねる」みたいな事柄の積み重ねで揺れ、ふらつき始めるもので、例えば最近は上記の洗濯に加えて飛行機の搭乗時刻を確認せずに逃したり(確認しなかったから当然)、何がどうなってか1日でスマホのデータを12GBも使ってしまい警告の通知が来たりなど、そうしたおおよそ「尊厳」という立派な言葉とはかけ離れた出来事の連続で、私は私の尊厳を失いかけている。

思うに人の尊厳、というのは周りの協力なしで守り切れるものではなく、自分だけで守るのは至難の業。これは「私の尊厳どうかお守りください」って意味じゃなくて、自分に余裕があるときはなるべく、別に深い関わりがなくてもいい、たまたますれ違った人に道譲るとかそのレベルでいいんで、自分以外の人の尊厳を日常的に守ってあげるのは全人類に課された義務なんじゃないかと、こう、改めて思うた。大量の自己啓発本を読み込んで強固に塗り固めた自己肯定感らしきものや「私は私だから」的な強い意志があっても、人の尊厳なんてほっとけばすぐ生きてて申し訳ないとか言い始めて全然ダメです。

 

これまでの日記

 

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ゆきみん
「自分を仕事にするヒント」。自分をマーケティングする方法をお伝えしています。YouTube登録者数2万4000人。「もしもアフィリエイト」ダイヤモンドランク、その他ASP2社で同等成果継続中。書くことが好きです。