日記

世界最難関言語

 

近頃とても大阪弁を使っています。使う、というと意図的な感じがするけれど、大阪生まれ大阪育ちの私にとって大阪弁はまごうことなき私の母語なので、とても自然に使っている。

私は最近まで3年ほど外国にいたのだけれど、そこはポーランドという国でして、その国の人たちは英語でもフランス語でもなくポーランド語を話します。

ポーランド語というのは、ひいき目に見ても(何をごひいきに?)相当難解な言語でして、習得までに、いや今だってまったく習得したとは言えないけれど、アホかって感じやけど、それでも挨拶の域を越えるまでは割と大変だった気がします。これはネイティブスピーカーであるポーランド人にも周知の事実。というかポーランド人の誇りベスト3に君臨してるであろうことがまさにこの「ポーランド語の難解さ」であり、外国人がポーランド語で挨拶でもしようものなら拍手喝采、感心ゆえのため息すら聞こえてくる次第。

しかし思えば日本人とて日本語の難解さには少々の自負、誇らしい気持ちがありますよね。外国人が「こんにちは、私の名前は○○です」と言えば、「まっ!日本語ペラペラじゃないですか!!」と嬉々とする場面多数。この現象について日本在住経験のあるポーランド人に話を持ちかけてみたらば、互いに難解度合いを誇る気持ちこそ同じであれ、そこにはわずかばかりのしかし明らかな違いがあるとのこと。詳細を伺うに、ポーランド人には「こんな小さな、何もない私たちの国の言葉に興味を持ってくれてありがとう、申し訳ないねえ…」というやるせない思いがあり(実際そんなことないんだよ)、下手をすれば「ポーランド語に興味持つなんて変わり者に違いない、やばいやつかもしれない」といった疑心さえ抱いてしまうらしい。

一方日本人のそれには「私らの難しい言葉話すなんて、なかなかやないの?」と、少し上からな感じがあるんだそうで、日本人は言語に限らず全方位的に褒められ慣れており、自分たちは世界最強の国にいるんだと考えており、そこからくる余裕が隠し通せてないと。彼女にはそう思えて仕方ないんだそうで、この真偽は定かではないし、いやそんなことない、そんなこたあないよ、と個人的には思いつつも、ま、このようなご意見もあるということで。

ちなみに言語の難易度というのは母語並びにこれまでの習得言語等々に大きく左右されるので、「我々の言語が世界最難関だ」と言い切ることは永遠に不可能です。

 

ところで私のポーランド生活において、日々抱くどうしようもない居心地の悪さ、歯痒さというのはこれ、英語で話しかけられることであった(若者の多くは英語ができます)。

あちら側には親切心しかなく、私にとってさぞ便利で分かりやすい方を、と英語で話しかけてくれてるのに、なぜかとっても悲しかった。すっごく、はっきりと悲しかった。私の見た目は明らかに外国人、「お声がけの際はポーランド語でお願いします」とおでこに貼ってるわけでもなし、そりゃ仕方ないんやけども、それでもとても悲しかった。

悲しみの原因はおそらく、英語で話しかけられる場面というのは「馴染めていない」が具現化する瞬間、本当に馴染めているかどうかという問題ではなく、現実的に私はどこまでいっても外国人であるというその事実に打ちのめされるからだったと思う。馴染みたい、とか、ポーランド人になりたい、とか、そんなんじゃない。ただそこに存在する「馴染めていない」というさっぱりとした事実に、なんだか涙が出てくる日もあるのだった。

言語というのは「馴染めているかどうか」を表すひとつの指標のようなものであり、ぴったり比例せずとも、元々いる人たちは容易に判断・区別がつく便利さをもって言語の能力幅で我々の馴染み具合を把握、自分自身もその尺度を無意識に取り込んでしまうところがありますね。

思えば就職で上京した瞬間から私は大阪弁を封印し、幼少期にアンパンマンで培った標準語を使い始めた(しかも少々自慢げに)。そんな私にある日後輩の女の子が言い放ったのは、「せっかく大阪出身なんだから、大阪弁使った方がいいと思いますよ!」「みんなと打ち解けやすくなりますよ!」という、明るくてキラキラした、そしてとても的を得た提案だった。みんなの輪の中にスッと入って場を盛り上げる、かわいい後輩。何度も私を助けてくれた後輩。ああ、あなたはなんて正しいことを言うのですか…。私は礼を言い、深く反省し、その日からグラデーションを付けて標準語→大阪弁へと、バレないように密かにチェンジしていった。ま、間に合わんかったけどね、完全にチェンジしきるまでに会社辞めちゃった。

いやしかし、なんでそこまで標準語にこだわっていたのか、そりゃもうひとえに「どうにかして馴染みたかった」からであり、人や仕事や環境等々のすべてに馴染めなかった私は、せめて使う言葉だけでも、表面の部分だけでもなんとか東京や会社やその他諸々に馴染んでやろうと思っていたに違いなかった。しかし効果はなく、というか後輩にアドバイスもらうまで気付かなかったけど、そんなとこで馴染もうとしてもあかんね。そんな小手先じゃあ、あかんね。もっとはよから大阪弁押しでいけばよかったなあと、会社生活の中でこれだけはすごく後悔している。

 

ところで、私が一番濃ゆい大阪弁を使うときというのは怒ってるときです。私は怒ると、自分でもどこで覚えたんか記憶にない、ものすごい汚い大阪弁をどっかから掘り起こしてきて、それを他人にぶつけさえしないものの、恐ろしく汚い、おふだにして貼っとけば取り敢えず何にでも効果ありそうな、すんごいのを頭の中で羅列してみたりしてる。超怖いやつ。大阪のね、南の方のね、怖いやつ。これってすごい。話したり書いたりしたことない、つまり頭から現実世界へ出力したことのない言葉が自分の中にあるって事実。怒りのピーク時というのは人間の理性が最も働かない瞬間だと思うのだけれど、理性が働かない瞬間、つまり最も生、なま、そう、最も生の状態の私はその瞬間の自分を言葉を通じて表現したことがなく、ただ頭の中に並べた言葉を自分だけがじっと見ているんだということ。だからやっぱし言葉なんて、大したことないよね。

「もっとこうしないと」「これこれに注意して」という小言は親への心配ゆえどうしても抑えきれずに言ってしまうもので、親御さんを思いやる子どもの立場で身に覚えのある方も多いと思うのだけれど、最近まるで健康に気を使わない親、健康の真逆を地で行く親に対して頭にボッ、と出てきた言葉が自分でもこれ、常軌を逸するレベルの汚い言葉でさすがに口には出さなかったものの、なかなかに傑作で思わずスマホにメモした。

それ思い出す度に笑える。まじ。怒りから出てきたとは信じ難い、私辛いとき悲しいときその言葉思い出して吹き出してる。悪口で笑うなんて自分でも引くし、もはやおもろいんかどうかも分からんけど、最近それでめっちゃ笑ってる。

 

外国での言語の葛藤について、とても好きな小説があります。葛藤、とか言っても全然かたくなくてやさしい話だよ。すごくいいのでよかったら読んでみてください。

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