ブログの更新が随分空いてしまいました。
皆さん元気でお過ごしでしょうか?
私はというと、YouTubeを始めとする発信活動
さらに私生活の面でも大きな変化があり、
ここ最近はしばらく落ち着かない日々を過ごしています。
そして最近のYouTubeをご覧になって、
「ゆきみん一体どうしちゃったの??」
と思われている方、戸惑わせてしまってごめんなさい。
ここ数ヶ月で、このようなコメントをいくつか頂きました。
当然のことだと思います。
落胆させてしまい、ごめんなさい。
同時に、あんな動画をいきなりUPし始めた時点で見放してもおかしくないのに
変わらずサポートしてくださってる皆さんには、感謝してもし切れません。
本当にありがとうございます。
正直、嫌われるんじゃないか、怒られるんじゃないかってすごく怖かったです。
全員に好かれることは難しいとは分かっていましたが
「全員に嫌われるわけではないんだ」
ということは、今回皆さんのおかげで知ることができました。
さて、ラジオでは日々の心境をお話ししているのですが
今回は改めて
「私の発信活動の現状」
についてお話ししたいと思います。
ただ、私の力不足でここにすべてを書き切ることができません。
思いの丈は引き続きラジオの方でもお話ししますので、ここでは一部のみになることをお許しください。
まず、YouTubeに恋人との動画をUPし始めた理由について。
一般的にはどうでもいいことかもしれないですが…
個人的には人生最大に悩んで決めました。
(会社を辞めるときより遥かに悩みました。)
さすがに何も考えずに方針を変えるほど、浮かれポンチではありません。
理由はいろいろあるのですが、やはり一番は昨年の反省によるものです。
昨年、私生活においてとてもショッキングな出来事がありました。
(何があったか言えなくてごめんなさい、いつかまた…)
一人きりで落ち込んでどうしようもなかったとき、それでも私は
「一人でも大丈夫!」
「絶望するのも人生の味わいだから!」
なんて強がっていました。
自分で思うだけならまだしも、それを動画を通じて皆さんに喋って
まるで
「孤独になること」
を推奨するかのような発信をしていました。
これは本当に良くなかったと、すごく反省しています。ごめんなさい。
しばらくして、なんとかドン底から持ち直して振り返ったとき
やはりそこには「人の助け」があることに気付きました。
そして自分が積極的に人の助けを求め、行動していたことにも。
「人生終わった」「もう死にたい」と自暴自棄になりながら
カフェの店員さんに差し入れを持っていって仲良くしてもらったり
挨拶程度の知り合いに片っ端から連絡したり
死にたいのに助けを求めるなんて、すごく矛盾しているけれど…
でもきっとこうやって、皆一生懸命生きてるんだと気付きました。
恋人とはそんな日々の中で出会いました。
結局人は一人ではどうしたって生きていけないと痛いほど理解したから
この学びを無駄にしないような発信をしていきたいと強く思うようになり
そこで恋人の存在を皆さんにお話ししようと決めました。
もちろんパートナーの存在がすべてではないので、あくまで一例としてです。
よく「ゆきみんさんは一人で頑張っててエラいですね」と言っていただきますが、まったくそんなことありません。
一人で頑張っているように見えていたとしたら、それは私の伝達ミスです。
今この記事を読んでくださってる皆さんにも、本当に助けてもらっています。
皆さんも悩むことがあれば、いや、なくても、ぜひ迷わず周囲を頼ってください。孤独にならないでください。
家族や友人、近隣の人々、店員さんや、時にはドラマや本の登場人物…
恥ずかしがらずに頼ってみてください。断られたら、どんどん他を当たってみてください。
話を戻します。
ここからは、とても個人的な理由になります。
「孤独になってはいけないと伝えたいだけなら、今まで通りカメラに向かって喋る動画でいいんじゃない?」
というご質問への答えにもなると思います。
私のこれまでの動画のスタイルは、自分が悩んだことを起点に、生き方や仕事についての考え方をお話しするものでした。
「発信活動において一番何がしたいのか?何を伝えたいのか?」
を改めて考えると、やはりこうした内容を発信することに一番やりがいを感じます。
逆に、こうした発信を辞めるくらいならすべてを辞めます。
恋人とのvlogをUPするだけの動画クリエイターになるつもりはありません。
それでも以前のような語り系動画を出さなくなった理由は、私の心の問題です。
4年間、カメラに向かって自分の心の内を話してきました。
ただ好き勝手喋ってるだけに見えると思いますし、実際にそうかもしれません。
ただ、あのような動画を撮り続けるのは決して楽なことではないです。
自分でやり始めたことなのに、気付いたらすごく難しく感じるようになっていました。
「何が難しいのか」
と言われるとうまく説明できないのですが…
ある時期からカメラを前にするとうまく声が出なくなったり
たった10分の動画を撮影するのに5、6時間かかったり
そうやって撮った動画に納得がいかず、翌日また撮り直したり…
とにかくYouTubeを始めた当初のようにはいかなくなってしまいました。
毎回ではなかったですが、次第にその頻度は高くなり、ここ1年はカメラの電源を入れるのも嫌になっていました。
中でも一番困ったのは、
「どんな表情で喋っていいのか分からなくなった」
ことです。
楽しいことを喋ってるわけではないので、普通の自分で喋るとシンプルに「暗い」。
で、この自分の様子を編集→UPまで見続けるので、さらに心は暗くなります。
かといって無理に笑うと、空元気で皆さんに嘘を付いてることになるじゃないですか?
「悩みを解決し終わってから→動画にする」
このやり方なら本当の笑顔で話せるかもしれないけれど
さすがに発信活動を継続する上でこのサイクルを回すわけにもいきません。
(悩みって、すぐに解決しない場合がほとんどですよね!笑)
こうしたごちゃごちゃした面倒な心境は、すべて
「考え過ぎだよ!」
「誰もそんなこと気にしてないよ!」
と言われたらそれまでなのですが…
そこを考え過ぎてしまうのが私の面倒な性格で
先の見えない悩みをグルグルグルグル頭の中でかき回して抜け出せずにいました。
そんな状況で気付いたのは、
「何かを変えないといけない」
ということです。
働き方は違うかもしれませんが、私も皆さんと同じです。
自分の心に支障をきたしてまで活動を継続したり、良いカッコするのは間違ったことです。
休憩するなり、やり方を変えていかないといけません。
これまでそうした発信を続けてきたのに、自分自身はちゃんとできていませんでした。
この意味で、今回の変化は「変えたくて変えた」というより「変えざるを得なかった」が正しいかもしれません。
はっきり理由は分からないけど、でもとにかく今のスタイルで動画を作り続けるのは難しい。
でも発信は続けたい。
YouTubeも続けたい。
自分の心を壊さない程度に。
きっと、もっと良いやり方があるはず。
色々試したら新しい方向性が見えるかも…。
そんな思いが合わさった結果が、皆さんを戸惑わせてしまうことになりました。
本当に申し訳なかったと思っています。
私の不器用さが全面に出てしまいました。
「彼氏さんと話す時の甘ったれた声が聞いてられない」
とのコメントもあり、該当箇所を何度も聞き直しました。笑
(自分では本当に違いが分からないから恐ろしい…。苦笑)
ただ、動画の内容が変わったからといって以前の私が別の人間になったわけではありません。
恋人ができて頭がおかしくなったわけでもありません。笑
家族がいる、友達がいる、恋人がいる。
それは「いる」だけであって「いるから全てが最高!」ではない。
これを受け入れた上で、あとは頑張るしかない。
皆さんにおかれても、きっと同じだと思います。
むしろ他者と関わる上で更なる孤独を生むことだってあるし
私も相変わらず小さなことでごちゃごちゃ悩んでいます。
会社を辞める前と後で、悩みの内容は変われど量は変わらなかったのと同じで
恋人ができたことで、新たな悩みもわんさか出てきました。笑
結局人生において「どうなったから幸せ」なんてゴールはなく、死ぬまでもがき続けるしかないと思うんです。
で、私はもがいたことを糧に皆さんのお役に立ちたい。
この思いは変わりません。
恋人には話せないけど皆さんにだったら話せることも、たくさんあります。
(彼はラジオを聴いてないので、ラジオでは好き勝手喋ってます。笑)
動画のスタイルを今後どうしていくかは試行錯誤中です。
また以前のように語り系に戻るかもしれませんし、まったく異なることを始めるかもしれません。
「ゆきみんまた迷走してるな〜」
と温かい目で見ていただけると嬉しいです。
相変わらずですみません!
ただ、先に書いた通り、
「生き方や仕事についての考え方を発信したい」
この思いが変わることはありません。
大きな枠組みで言えば、今YouTubeで恋人との動画をUPしていることも
「生き方を発信している」
ということにはなりますが、さすがにそこまで理解していただくのは甘えだと思うので
しばらくはラジオの方で、引き続き生き方や働き方のお話をさせていただきます。
音声配信は「どんな表情で話せばいいのか」を考える必要がなく、さらに編集もしなくていい(できない!笑)ので
現在進行形の悩みを皆さまに打ち明けるのには、これ以上ない程適した場所だと思っています。
表情がないとはいえ、感情ってものすごく声色に表れるので、そこも楽しんでいただければ嬉しいです。
これまで、
「自分を仕事にする」
をコンセプトに発信を続けてきました。
それは今もこれからも変わりません。
今回自分の気持ちをブログに書いて発信したことも、これ自体が
「自分を仕事にする」
ことだと思っていて、こんなやりがいのある仕事を続けられていること、とても感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。
〜〜〜
私の寂しいなんて、どこにでもあるタイプの寂しいだから、ひとりでなんとかしないとって思ってた。
でも私は私の想像以上に弱かったし、弱いなら弱いなりのやり方で歩こうと思う。
ひとりぼっちで笑顔になれないなら、笑顔になれる場所に自分を連れていけばいい。
泣いてばかりの自分が手に負えないなら、大丈夫だと安心させてくれる人を探し出せばいい。
季節の移ろいを教えてくれるいちょう並木。
用意してくれたのは誰だろう。
散歩のための小道。休憩するためのベンチ。
与えてくれたのは誰だろう。
ひとりぼっちなんて、妄想の世界だったね。
哀しみに意味を与えてくれた小説にさよならを伝えて、少し陽の当たる場所に、私は私を置いてみる。