コラム

味の思い出をたどる

長文読解

 

旅先で、現地化された日本食を味わうのが好きだ。

その国独自の味付けや、日本食への解釈があって、面白い。

ニューヨークで食べたおすし

また、日本化した各国の料理を味わうのも好きだ。

辛さを抑えマイルドに仕上げたインドカレーには、つくり手のやさしさがある。

日本人好みのインドカレーといえば、品川駅の「シターラダイナー」

もちろん、
「こんなのは日本の味じゃないっ」
「本場のインドカレーじゃないっ」
という気持ちも分かる。

想像していた、口に入れたかった味とは異なるのだろう。

でも、自分の信じる
「日本の味」
「本場の味」
が揺るぎないものとしてあるのなら、もうそれで十分じゃないかと思うんだよなあ。

 

「思ったとおりの味」
というのは、確かに安心感を与えてくれる。
外国での長期滞在た移住を経験すれば、馴染んだ味を懐かしみたい気持ちもあるだろう。

 

でも、私たちは想像ができる。

「日本の味」
「本場の味」
を頭で再現できるなら、それで十分じゃないだろうか。

 

舌は、食べているときに働くセンサーだ。
でもそれだけじゃない。
センサーは味を脳へ伝え、脳はちゃんと記憶してくれる。

だから、思い出せばいい。
おいしかった記憶を思い出せばいい。

 

自分の基準と照らし合わせて
「これは日本の味じゃない」
と否定してしまうのは、単なる記憶との答え合わせだ。
食を楽しんでいることにはならない。

自分の中に味の基準があること自体に問題はない。
ただ、そこを目がけて同じ味を求めるのはつまらないだろう。

せっかく基準があるのだから、その基準との差を繊細に感じ取る。
つくり手の気持ちや、国民性を推測しながら味わう。

食の楽しみ方はそうやって、どこまでも広がる。

 

世界中どこへ行っても日本食レストランがある時代だけれど、ひとつとして同じ味のレストランはないんじゃないかな。

 

おしまい。

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ゆきみん
ゆきみん
大手メーカーを4年で退職、「会社辞めても楽しく暮らしていけるよ!」をお伝えしたくて、ブログを書いています。