こんにちは、ゆきみん(@yukimin_jp)です。
ポーランドで暮らし始めておよそ半年が経ちました。
この記事では、現在の私の言語に関する考え方についてお話したいと思います。
雑記ブログとしてお楽しみいただければ幸いです!
外国語学部卒なのに言語に興味がなかった
私のYouTubeチャンネルで一番再生いただいているTOEIC勉強法の動画。
現在50万回再生を突破しています。
この動画のコンセプトは、
- 英語が得意でない方でも
- 就活や昇格に必要なこともあるから
- 効率よくいい点数をとっちゃいましょう
というものです。
「TOEICで点数とって英語ペラペラになりましょう!」
という話は一切していませんし、現に私はそんなに英語が話せません。
こういう動画を出す方ってネイティブ並みに話せるのが普通だと思うんですが、私の英語レベルは本当に簡単な日常会話程度。
ペラペラとは程遠いです。
外国語学部に在籍し、それなりの環境にいたにも関わらず、私の英語に対する熱は(他の関心ごとに比べれば)かなり低かったと思います。
英語ができなくても日本ではまったく問題ない
どうしてそこまで英語学習に意欲が湧かなかったのかというと、シンプルに「日常で困ることが無かったから」。
日本で普通に暮らしていて、どうしても英語が必要になるシーンって無いと思うんですよ。
たまーに外国人観光客の方に道を聞かれる程度で、英語必須の仕事しか無いわけでもないし、大体の情報が母語で手に入る。
Google翻訳だってあるし、にっちもさっちもいかないなんてことはまず無い。
そんな状況で「英語やらないと!」とはならないわけですね。
目の前にやるべきことが沢山あると余計、英語学習の優先順位は下がってきます。
ポーランドで暮らし始めて少し考え方が変わった
とはいえ、ポーランドで暮らし始めて半年が経ち、少し語学に関する考え方が変わりました。
まず前提をお話すると、ポーランドは基本、ポーランド語です。
若い世代にはそれなりに英語が通じますが(体感では6割くらい)、レストランの扉なんかにはわざわざ「We speak English(私たち英語話しまっせ)」と書かれていたり、メニューは頼まない限り、ポーランド語のものしか出てきません。
小さいことでいうと、商品のパッケージ裏の表記も、英語よりも優先してチェコ語やスロバキア語、ウクライナ語などが書かれています。
幸いYouTubeの活動を通じて日本語ができるポーランド人と数多く知り合うことができ、なにもかもが意味不明状態に陥ったことはないのですが、やはり
「この人たちに助けてもらえなかったら、自分どうすんの??」
と思うことが多いです。
歯医者にかかったときなんかは、さすがに不安で、友達に少々のお金をお支払いして通訳さんとして付き添ってもらいましたからね…。
まあ日常生活ならジェスチャーや翻訳機、さらにお金を払えばなんとかなるわけですが、問題は私自身の仕事です。
YouTubeの撮影を通じてポーランドの方とコミュニケーションを取ることもかなり増えてきたのですが、そりゃあもちろん、会話にならないんですよね。
これはすごく言い訳なのですが、なんやかんやで毎日忙しくしていて、ポーランド語の勉強はいつも後回し。
毎日のやることリストの一番下のチェックボックスに印が入ることは…。
うーん、1週間に1回くらいでしょうか。
半年前に比べてなんとなーく、本当になんとなーく、相手の話していることが分かることも増えてきたのですが、もちろんペラペラと直接会話できるわけではありません。
ということで、撮影に関してもこれまた少々のお金をお支払いしてお手伝いさんに付き添ってもらっているのですが、問題はそこまで単純ではなく…。
やはり、動画の質が下がってしまう気がするんです。
通訳してもらうのを待っている間に話のテンポが悪くなったり、そもそもリアルな会話ではなくなってしまうんですよね。
そしてさらなる問題は、自分自身で指示ができないこと。
先日とある仕事で30人ほどのポーランド人の方にまとめて指示をしなければいけない場面があったのですが、その30人は日本語も英語もあまり得意ではない方たちでした。
そんな中で通訳を通じて指示をするというのは、やはり無理があるんです。
ただの会話ならまだしも「指示」というのは「こちらからのお願い」ですから、どう考えても自分の口からはっきり話すべきなんですよね。
結局その場面で私が話したポーランド語は「静かにしてください、お願いします」くらい。
悔しいというより、
「ああ、言語を勉強する真の意味はここなんだな」
と考えるきっかけになりました。
言語はただのコミュニケーションツール?
私が言語学習に集中してこなかったのは、結局言語をただのコミュニケーションツールだと思っていたからなんです。
別にできなくてもなんとかなるし、その「なんとかする」方法を身につけた方が、言語を身につけるよりも効率的で楽だ、と。
私はどうもこういう思考回路に至りやすいらしく、小学校でそろばんを習った時も
「電卓がある便利な時代なんやから、ンなもんやらんでええんやっ」
と担任の先生に歯向かい、家から電卓を持ってくるという生意気っぷりを発揮して親を呼び出されたことも。(苦笑)
もちろん電卓やGoogle翻訳、金にモノを言わせて「なんとかする」方法を身につけることも大切だとは思います。
でも世界にはそうもいかない人だっていますよね。
また、ただ「その場を乗り切る」ためではなく、「もっと大きなチャンスを掴む」ために言語を身に付けたい人だって少なくありません。
日本でインドカレー屋を営むネパール人が、流暢に日本語を話せるのはなぜでしょう?
フィリピンの田舎の貧しい家庭で、親が子どもに必死に英語教育を受けさせているのはなぜでしょう?
言語をただのコミュニケーションツールだと思っていた自分は、こうしたことについて考えることを、ことごとくサボっていたなと思います。
日本という母語だけで生きていける国に生まれた以上、諸言語に対する期待はどうしても薄くなります。
が、「ただのコミュニケーションツール」なんて考え方は、恵まれた環境にいたからこそ。
そして、もっと大きなチャンスを掴もうと思えば、多少なりとも言語はその架け橋になるはずです。
外国語に限らず、例えばプログラミング言語なんかもそうですよね。
使いこなせる人は仕事のチャンスもどんどん広がる。
ポーランド語を勉強したとて勝算があるかなんて分からないけど、そこには必ずなにかチャンスがあるんだと思います。
これからポーランド語を真剣に勉強するかどうかはまた別の話ですが…。(別なの?笑)
「何らかのチャンスはある」ということは忘れずにいたいと思います。