コラム

大人になると、身に余る課金をしなくなる

大人になると、身に余る課金をしなくなる

 

大人になってよかったなあと思うことの一つに、

「お金の使いどころが自分で判断できるようになった」

というのがあります。

 

この歳になると、自分が親にしてもらったことをつぶさに思い出すのですが
(たいてい歯磨きしてる時に。なんでかな?)

私の未来への投資をなるだけしてくれていたなと、本当に思います。

 

小学校の頃、私立中学受験のための塾に通わせてもらってました。

にも関わらず、私は本当に勉強がてんでダメで、

算数や理科はいつもダントツで最下位の成績。

偏差値も38とかでした。

 

 

通っていた塾では毎週日曜日に「超難関校ハイレベル講座」(確かこんな名前)というのをやっていて

難関校を目指す子向けに、特別講師を迎えた講座を開催していたんですね。

もちろん無料ではなく、受講するにはオプションで数万払う必要があります。

 

で、その講座に私も参加していたんです。

小学6年生の1年間、毎週日曜日は朝から晩まで塾にこもりきり。

言わずもがな、通常の授業すらままならない私にはまるでチンプンカンプンでした。

 

先生も鬼のように怖くて、難関校志望の生徒が小テストで全問正解しなかったときには

「おまえはどこの中学目指しとるんや!言うてみ!」

とブチギレる始末。
(私はキレられる対象ですらなかった)

 

今思えば私が毎週日曜日に学んでいたのは、

「世の中にはやっべー大人がいる」

ということだったのかもしれません。

 

当時のことを振り返ると、親は親で私の学力向上を信じてこの講座に申し込んでくれたんだろうし

私も私で、自分にこの講座が必要ない、身に余るものだということがまるで分かっていませんでした。

 

感覚では分かってたのかもしれないけど、

「この講座を受ける時間があったら、じっくり基礎固めをした方がいい」

と頭が回るほど成長していなかったんだと思います。

 

「とりあえず授業があるから行かねばな」

が限界。

 

自分で稼いだこともなければ、数万円の重みなんて全く分かってませんでした。

 

他の習い事にしても、課金オプションが提示されるたび

親はそこへ私を送り出してくれた記憶があります。

子どもの頃は可能性が無限大だから、あるだけのお金をあらゆる可能性に均等に分配してくれたのでしょう。

 

それがどれだけ恵まれていたことか、今は苦しいくらい分かります。

 

 

月日が経つにつれ、好き、嫌い、得意、苦手

こうしたことが少しずつはっきりしてきて

適切なお金の使いどころが分かるようになると共に、身に余るモノや知識に課金することはなくなりました。

 

どう頑張っても到達できない場所なんて数え切れないほどあるから、決して欲張らず、自分が吸収できる分だけ。

人生に悲観的にならないためには、大切なことかもしれません。

 

とはいえ、やっぱり今の私があるのは、

幼かった私の可能性を信じ、超課金モードで世界を広げ続けてくれた親のおかげだと思います。

 

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ゆきみん
ゆきみん
大手メーカーを4年で退職、「会社辞めても楽しく暮らしていけるよ!」をお伝えしたくて、ブログを書いています。