母がピアノを捨てると言う。
我が家には古いアップライトピアノ(発表会とかでよく見る立派なやつじゃなくて、四角い箱、壁にべったりのやつ)があります。まだ小さかった頃、祖父の介護に来てくれていた看護師さんがもう使わないからと3万円で売ってくれました(そんなことある?)。このピアノに印字されてるロゴ以外、どこかで社名を見たり聞きしたことが一度もない、全然有名じゃないとこのピアノです。
ピアノ、少し習わせてもらってですね、ものすごく夢中になったかといえば、至ってふつう、並、といった感じで、確か小4くらいで「もうええかな、人には向き不向きがあるよな」と、年齢の割には冷静な分析、通ってたピアノ教室をすっぱりやめた。最後の日、教室を出ていく扉を開けた瞬間「◯◯ちゃんはあの子みたいになったらダメよ、しっかり続けようね!!!」と大好きだった先生、ピアノはそれほどでも先生のことはすごく大好きだったのに、先生が私に聞こえるような声で、もはやこっちに向かって声出してるやん、って音量で言うもんだから、お金を稼ぐって大変なんだなあと、小4の私はいつか来る日を思って暗い気持ちになった。
天才ピアノ少女でもない限り、「小4でやめた=これといって弾ける曲がないままやめた」ということであり、レベルとしてはブルグミュラー(初歩の練習曲集)の途中とかだったと思います。
大学の頃、父親が思い出したように「お前、あんなに金つこたのに大した曲も弾けんと恥ずかしくないのか」と言うんで、それもそうだと父が唯一知ってるクラシック曲、ショパンのノクターンOp.9-2を、YouTubeなどを活用しながら何とか一曲弾けるところまでこじつけた。
ところで私は最近までポーランドという国で3年ほど暮らしておりました。何を隠そう、ポーランドはショパンが生まれた国でござって、首都ワルシャワには選りすぐりの名曲が流れるベンチや各種ショパンコンサート、顔ハメ用のショパンパネルなどなどが一通り揃っており、お土産物もとりあえずショパンの顔付けとったらええやろの雰囲気。これはとてもいい感じです。
首都ワルシャワのメイン通りには時折思い出したように小さなピアノがポンと置かれ(なんで常設じゃないのかは謎)、通りすがりの人が、いや、ほんまに通りすがり?弾くために来た?てか誰?レベルで素晴らしい音色を奏でてゆくんで、かっこええなあと、私もこのシーンの一員になってみたいもんやなあと、どうしてもそのピアノを触ってみたくてしょうがなく、2年ほど我慢したのちに、えい、とある日どさくさに紛れて(何のどさくさ?)人がわらわらしてる隙に鍵盤を触ってみた。
触るだけでよかったのに、ショパンの国でピアノに触れている状況に私はとても嬉しくなってしまい、恥ずかしながら少しばかり興奮し、調子に乗って奏者用の椅子に腰掛け、なんと、その場で例のノクターンを弾き始めてしまったのが悪夢の始まり。
ノクターン。分かりますか、あの「ターラー、タララーラン」で始まるやつ(意外に通じるよね)。私はその冒頭2小節だけを弾いてものすごい違和感を覚えた。えっ、これは何、これはどういうこと。その後を弾こうとして、指の動きは合ってるはずなのに、耳が、耳というか頭が、全然ついてこなかった。私の知ってるドレミじゃない。どう言えばいいのか、あ、カラオケでキーを変えて歌うことってありますよね。自分に歌いやすいように。そんな感じで、とにかく目の前のピアノが出す音というのがこれ、私の知ってるドレミのキーと全っ然違ってて、出てくるはずの音と実際に出てくる音がはっきり別物なんです。
「ターラー、タララーラン」だけを弾いてそのまま固まってた、というか硬直してたところ、周囲からの「こいつは弾く気があるのか」という目線に気付いた私は、呆然としたままその場をよろよろと去り、助けを求めるように近くのピアノ店へ、そこにあったピアノの全部を試した。まじで全部。電子ピアノも子ども向けのおもちゃのやつも全部。しかし私の知ってるドレミはついぞ聞くことができず、私はその場でうなだれ、あれ、日本とポーランドではドレミの音階違うんやっけ、そんな文化の違いあったっけ、え、じゃあショパンコンクールとかめっちゃ不公平やん、まで思考をうろつかせたのち(コンクールは毎回ポーランド開催)、ある考えが浮かんできた。それは、今日触ったすべてのピアノのドレミではなく、間違ってるのは私のドレミではないかということ(当然)。
真偽を確かめるべく、先日帰国した私はすぐさま実家のほこりを被ったピアノでノクターンを弾いてみた。弾ける。弾ける弾ける、弾けてしまう、このピアノで私はノクターンが弾けてしまう…。
そう、家のピアノ、恐ろしいことに20年前から調律してなかったんです。(ピアノは最低でも年1回調律が必要)。
知らず知らずのうちに、私のドレミは20年以上手入れされていない古いピアノのドレミと完全に合致していた。ピアノというのはある日突然音が変わるわけではないので、このピアノと私のドレミは少しずつ共に変化、いや劣化してきたに違いなかった。ちゃんとピアノ続けてたら「このピアノと共に成長してきたんです!」とか言えるのに。自分のせいでしかないけど、明らかに私はこのピアノと共に劣化した。家のピアノしか弾いてこなかったわけで気付くはずもなく、だから私は20年も手入れされてない、もはや奇跡のピアノと言っても過言ではないこの子でしかノクターンを弾けない。言い訳だけど、高いのよ。ピアノの調律って。
そのピアノを最近母が捨てると言い出した。使用頻度の割に存在感が大きすぎる、要するに邪魔だとのこと。「母上、私のノクターンはもう聴きとうございませんか」と恐る恐る尋ねたところ、「ござらぬ」と即答。悲し。
ピアノを習ってた頃、先生が「ゆきみんちゃん、練習するごとに、1曲最初から最後まで弾くごとに、ここに小さくハートを書いていってね。先生との約束ね」と、楽譜のあいたとこに1週間分の四角の枠を作ってくれて、私はそれを律儀に守っていた。弾いた。ハート書く。弾いた。ハート書く。
でもある日、毎回ピアノを弾く手を止めてハートを書くのはとても非効率じゃないかとひらめいて(小学生にとっては大きなひらめき)、10回弾いたら10個ハート、のような独自のルールをもって練習量を申告することにした。翌週、そうやって書いたハートを見た先生は「ゆきみんちゃん、1回ごとに書かなかったでしょ。これ、まとめて書いたでしょ」と一瞬で見抜き、私は先生が隠れて家に練習を見にきてるんじゃないかと本気で思って、母と先生が組んでるんじゃないかと本気で思って、家に帰ってしつこく母を問い詰めたりなど。