旅先で、現地化された日本食を味わうのが好きだ。
その国独自の味付けや、日本食への解釈があって、面白い。
また、日本化した各国の料理を味わうのも好きだ。
辛さを抑えマイルドに仕上げたインドカレーには、つくり手のやさしさがある。
もちろん、
「こんなのは日本の味じゃないっ」
「本場のインドカレーじゃないっ」
という気持ちも分かる。
想像していた、口に入れたかった味とは異なるのだろう。
でも、自分の信じる
「日本の味」
「本場の味」
が揺るぎないものとしてあるのなら、もうそれで十分じゃないかと思うんだよなあ。
「思ったとおりの味」
というのは、確かに安心感を与えてくれる。
外国での長期滞在た移住を経験すれば、馴染んだ味を懐かしみたい気持ちもあるだろう。
でも、私たちは想像ができる。
「日本の味」
「本場の味」
を頭で再現できるなら、それで十分じゃないだろうか。
舌は、食べているときに働くセンサーだ。
でもそれだけじゃない。
センサーは味を脳へ伝え、脳はちゃんと記憶してくれる。
だから、思い出せばいい。
おいしかった記憶を思い出せばいい。
自分の基準と照らし合わせて
「これは日本の味じゃない」
と否定してしまうのは、単なる記憶との答え合わせだ。
食を楽しんでいることにはならない。
自分の中に味の基準があること自体に問題はない。
ただ、そこを目がけて同じ味を求めるのはつまらないだろう。
せっかく基準があるのだから、その基準との差を繊細に感じ取る。
つくり手の気持ちや、国民性を推測しながら味わう。
食の楽しみ方はそうやって、どこまでも広がる。
世界中どこへ行っても日本食レストランがある時代だけれど、ひとつとして同じ味のレストランはないんじゃないかな。
おしまい。