ミニマリスト生活

ミニマリストの空虚感について。

ゆきみん
ゆきみん
今日は、ミニマリストの空虚感について。

ミニマリストを志している方、モノを整理して寂しくなったことはありませんか?

処分した後の空虚感

ミニマリストになるには、当然大量のモノを手放すわけです。
私も一つひとつ丁寧に整理しながら、「こ、こんなにモノ持ってたんかい…」と自分にドン引きしました…。

まぶた2枚しかないのに、アイシャドウどんだけあんねん!みたいな。

で、すべてを整理し終わってガラーンとした部屋を見たとき、私が覚えたのは達成感でも充実感でもなく、空虚感でした。

本を手放して心に穴が空いた。

特に一番感じたのは、本棚の中にぎっしりあった本を、ほとんどすべて売ったときのことです。

本好きのミニマリスト、整理どうする問題で書いたように、しっかり納得した上で手放したのですが、それでも心にぽっかり穴が空いたような気持ちになりました。

得たものは頭の中にあるのに…?

でも、よく考えてみると、おかしな話なんです。

本から得たものはちゃんと頭の中にあるはず。

初めて谷崎潤一郎を読んだときの高揚感。
何度も何度も読み返した哲学本。
書き写してうっとりした、夏目漱石のあまりに美しい文章…。
辛い時何よりも助けてくれたのは、太宰治「正義と微笑」の一節でした。

これまで出会った本のことを、生涯忘れることはありません。

ではどうして?
「本という物質」が部屋の中から無くなったからといって、どうして寂しい気持ちになるのでしょうか。

空虚感=私に足りないすべてを表していた。

そのときの空虚感は、私に足りていないすべてを表していると思います。

なぜなら、私は「本という物質」によって、充足感を得ていたから。

それは「本棚にズラッと並べる満足感」とか、そういうのではありません。

まるで人生の師匠が寄り添ってくれているような充足感を、本を持つことで得ていたのです。
本棚を眺めることが、何よりの精神安定剤だった。

これに気付いて、愕然としました。
私は毎日の充足感を、まさかモノから得ていたのか、と。

先人の教えや美しい言葉の数々ではなく、モノから。

処分することで感じた自分の弱さ

その後も、私はモノを整理することによって、自分の弱さを嫌というほど感じました。

たまにバラエティの断捨離企画なんかで「大事にできてなかった…ごめんね…」と涙する方を見ますが、そんな甘いものではなかった。
これまで気付かなかった自分の弱さに直面して泣きました。

大量の化粧品は自分への自信の無さだったり、トレンドに合わせなきゃという焦燥感。
(トレンド=自分が好きなもの、ではなかった)

何枚もあるお皿は、食事のたびに皿洗いをしない怠惰さや、家事をうまくスケジュールに組み込めない計画性の無さ。

いくつもあるぬいぐるみは、寂しさをぬいぐるみでごまかそうとしていたから。

明らかに企業のマーケティングに左右されて買った、わけのわからない雑貨。思慮の足りなさを表しています。

化粧品やぬいぐるみがモノとして本当に好きなら良いのですが、私の場合、全部自分の弱さを隠すために購入したものだったんです。

モノに支えられるか、モノがなくても強くなれるか。

ふと思い出すのは、先日亡くなった樹木希林さんのご自宅。
ドキュメンタリーで見たのですが、本当にきれいに片付いていて、ほとんどモノがなかった。

ニュースでたまに取り上げられるゴミ屋敷も思い浮かびます。
ゴミ屋敷になったきっかけは、家族との不和、確執だったりしますね。

そういえば先日、マツコ・デラックスさんが「最近ぬいぐるみが家に増えてきて〜私も歳だなあと思うのよ〜」と言っているのを見ました。

モノに支えられるか、モノがなくても強くなれるか。
ミニマリスト生活を通じて、自分を試してみたいと思います。

ゆきみん
ゆきみん
ちょ、ちょっと深刻な感じになってしまってごめんなさい!
良いこともいっぱいあるから安心してくださいね。

最後におすすめの本を。
ミニマリスト生活を、思いつきで始めるのは、あまりおすすめしません。
考え方を理解してからでないと、軸がブレてしまいます。

おしまい。

ABOUT ME
ゆきみん
ゆきみん
都内在住のライター、会社員。 YouTubeで世界の魅力を伝えています。 詩やエッセイを書くことが好きです。